2025年12月24日(水)
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聖書一日一章 コリント人への手紙第一 10章
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その岩とはキリストです。(4節)
パウロは、8章から述べてきた、偶像に献げられた肉を食べてもよいかの論議を続けます。まず、モーセの時代にエジプトを出た民が、偶像礼拝をして死んだことを話しますが、これは、クリスチャンが、異教の儀式に参加し、そこで出された偶像に献げられた肉を食べないようにということの理由のためです。その理由に加え、聖餐式でパンとぶどう酒を口にすることがキリストと霊的に交わることであるのと同じく、異教の儀式で肉を食べることは、悪霊と霊的に交わることになるという理由も述べます。他方、市場で売っている肉や招かれた家で出された肉は、気にせず食べるようにと言います。ただし、招かれた家で出された肉でも、招いた人が「これは偶像に献げた肉です」と言うなら、その人への信仰の証のために食べないようにと言います。
さて、4節では、エジプトを出た民が、水が尽きたときに、岩を打って湧き出た水を飲んだことを述べていますが、「その岩とはキリストです」と言います。その意味がよくわかりませんが、少なくとも、その時代にキリストが存在し、何らかの形で人々に触れておられたことを指しています。また、7節と8節では、モーセがシナイ山に登っている間に、人々が金の子牛を造り、その前で食べて飲んで戯れ、そのため多くの人が死んだことを述べていますが、9節では「キリストを試みた」と言います。これも、その時代にキリストが存在し、何らかの形で人々に触れておられたことを指しています。
キリストは2千年ほど前にマリアからお生まれになりましたが、私たちは聖書によって、永遠の昔から存在しておられ、旧約の時代にも働いておられたことを知っています。キリストご自身が、ヨハネの福音書8章58節で、「アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです」と言っておられます。ですから、ずっと存在しておられたキリストが人間の姿で現れた日がマリアからお生まれになった出来事なのです。それにしても、永遠の昔からおられ、旧約時代にイスラエルを導いておられた霊が、人間の赤ちゃんになられたというのは、何とも不思議で、何度聞いても驚きを感じます。
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