2025年12月25日(木)
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聖書一日一章 コリント人への手紙第一 11章
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すべては神から出ています。(12節)
パウロは前半では、女性はかぶり物を着けるべきかということについて、着けるように教え、その理由を述べています。ただし、16節で「そのような習慣は私たちにはなく、神の諸教会にもありません」と言っているように、当時の習慣を根拠にしていて、どの時代にも当てはまることではないと思います。後半では、当時のクリスチャンたちの集会は、食べ物を持ち寄って食事をし、その中で聖餐式をしていましたが、食事の仕方を問題としています。先に来た人たちが我先にと食べるので、貧しくて食べ物を持って来れなかった人々が空腹のままでいると言います。聖餐式をする限り、そこにキリストがおられることを覚え、みんなで分け合って食べるようにと勧めます。
さて、12節では、「すべては神から出ています」と言います。男と女とどちらが上かを論じる中での言葉で、エバがアダムの骨で造られたことからすると、女は男から出るし、男が母から産まれることからすると、反対に、男は女から出るので、互角ですが、最後にまとめて、すべては神から出ると言うのです。
この、男は母から生まれるので、女から出る、ということには、一つの例外があります。キリストの誕生です。キリストは神の永遠のみ子で、マリアに宿られたのであって、マリアから生まれたのでも、出たのでもありません。たとえば、パウロはコロサイ人への手紙1章15節から17節で言います。「御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。」それでは、キリストが「神から出た」と言えるかということですが、私はそういう言い方は不適切だと思います。もし、キリストが過去のある時点で神から生まれてこられたのであれば、そう言ってもよいでしょう。しかし、そうではなく、キリストが神のみ子であることは、いつからということはなく、いわば永遠の関係です。永遠に神のみ子なのです。そんなすごい方が私たちを救うために、マリアから生まれ、人間となってくださいました。
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