2025年12月27日(土)

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聖書一日一章    コリント人への手紙第一 13章

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愛がないなら、私は無に等しいのです。(2節)

パウロは前の章で、聖霊の賜物について、自分に与えられている賜物は高く評価するのに、ほかの人に与えられている賜物は蔑む傾向を咎めましたが、ここでは、聖霊の賜物より愛が大切であることを教えます。異言や預言や山を動かすほどの信仰や犠牲的な精神という賜物を与えられていても、愛がなければ無に等しいと言います。そして、愛のすぐれた点を並べます。

さて、パウロは、3節で、「たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても」、「愛がなければ、何の役にも立ちません」と言いますが、困っている人に持っている物を分け与えることは、愛ではないのかという疑問が浮かびます。しかし、たしかに、困っている人を助けても、人から尊敬されるためにそうするならば、愛とは言えないでしょう。その意味では、愛の特徴として挙げられている寛容や親切なども、尊敬されるためにすることもあり、それは愛とは言えないでしょう。寛容や親切は、愛の特徴であって、それがあれば愛だということではありません。

それでは愛とは何かと思いますが、残念ながら、パウロはそのずばりの答えを述べていません。まあ、パウロがここでずばり述べたとしても、その言葉通りのことを不純な動機ですることもできますから、あまり意味がありません。そのように、愛とは何かを言葉で表すことが難しいとすれば、どうすればよいかと考えていて、すばらしいことを思いつきました。愛とは、キリストだということです。キリストは愛をその生涯を通して現されました。キリストは、愛の神によって人々への愛のゆえにこの世に遣わされ、マリアに宿り、神と家族を愛して成長し、愛のために宣教し、愛のために十字架で死なれました。キリストの存在と生涯こそ、愛とは何かを一番よく現しています。

新聖歌99番。「馬ぶねの中に産声上げ、たくみの家に人となりて、貧しき憂い、生くる悩み、つぶさになめし、この人を見よ。この人を見よ、この人にぞ、こよなき愛は現れたる、この人を見よ、この人こそ、人となりたる活ける神なれ。」

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成