2025年12月29日(月)

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聖書一日一章    コリント人への手紙第一 15章

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私は日々死んでいるのです。(31節)

パウロはここでは、コリントのクリスチャンたちの中に、死んだ人が復活することはないと言う人がいたので、そういう人に答えています。キリストが復活されたのは確かであり、自分も含めて多くの目撃証人がいるが、もし死んだ人が復活しないなら、キリストの復活もないはずだから、おかしい。真実は、キリストは復活され、今生きておられ、やがて再臨され、万物を従えられるが、そのときキリストを信じる人も復活すると言います。35節以下では、死んだ人はどんなふうに復活するのかという質問に対して、現在の朽ちる卑しい血肉の体ではなく、朽ちない栄光に満ちた霊的な体に復活し、生きている人も一瞬で栄光の体に変えられると言います。

さて、31節では、「私は日々死んでいる」と言います。パウロは行く町行く町で迫害にあい、殺されそうになり、当時の旅は危険で、海で遭難し、32節で言うように獣に襲われ、何度も死にそうな目にあいました。そのように、毎日のように死にそうな目にあっているということでしょう。その度に、自分はこれで死ぬかと思い、死を実体験したことでしょう。また、おそらく、彼がローマ人への手紙6章で言っている、自分はキリストとともに死んだという信仰を実体験したことでしょう。それは、キリストと一体となるような体験だったのではないかと思います。皆さんの中には、死にそうになったことがある方がおられるでしょう。これまでそんなことがなくても、これからはあるかもしれません。たとえそんな目にあっても、キリストとともに死ぬことを実体験する機会になるのではないでしょうか。

また、パウロが毎日のように死にそうな目にあい、結局死なず、助かったとすれば、死から生還した、つまり復活したと感じたのではないでしょうか。そして、死にそうな目にあうことが、キリストとともに死んだという信仰の実体験であれば、死からの生還は、キリストとともに復活したという信仰の 実体験に違いありません。だれも死にそうな目にはあいたくありません。しかし、不本意ながらもそのような目にあうとしても、キリストを信じる者にとっては、けっして不幸ではないと思います。

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