2025年12月31日(水)

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聖書一日一章    コリント人への手紙第二 1章

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神に頼る者となるためだった。(9節)

パウロは第三次伝道旅行でエペソに長くいた間に、第一の手紙を書き、そのあとコリントへ行くのですが、その途中のマケドニアからこの手紙を書き送りました。ここでは、エペソで経験した激しい苦難とその中でのキリストの慰め、直接コリントに行かないでマケドニアを回った理由を書いています。

さて、8節と9節で、「アジア」、と言ってもエーゲ海に面したエペソあたりのことですが、そこで受けた苦難について言います。「私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。」余程激しい苦難だったようで、もう最期かと思ったほどで、「私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだった」と言います。ここで神のことを「死者をよみがえらせてくださる神」と言います。彼にとって「死者をよみがえらせる神」は、「全能の神」にほかなりません。全能の神だから、死者をよみがえらせるという不可能なことができるのであり、死者をよみがえらせることに、その全能性が一番よく現れているということです。

パウロはどのように、この全能の神の信仰を持ったのでしょうか。おそらく、キリストに出会う前から、律法学者として、神が全能であることは理論的に信じていたでしょう。しかし、ほんとうに信じたのは、ダマスコへの途上でキリストに出会った時でしょう。死んだが生きておられるキリストに出会い、死者をよみがえらせる全能の力にじかに触れたのです。そして、今回、必ず死ぬと思ったのに生かされて、死者をよみがえらせる全能の力を体験したのです。それで、もはや全能の神にしか頼れなくなったのでしょう。

しかし、私たちは、パウロのようにはキリストに会うことができませんし、死ぬと思うような苦難を受けることがないかもしれません。しかし、11節では、「あなたがたも祈りによって協力してくれれば」と言っています。激しい苦難にあっている人々のために祈ることによって、また、その結果を知ることによって、神の全能の力を少し経験できるのではないでしょうか。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成