2026年1月3日(土)

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聖書一日一章    コリント人への手紙第二 4章

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主なるイエス・キリストを宣べ伝えています。(5節)

パウロはここでは、キリストから受けた務めとそれを行う姿勢について語ります。ある人々がコリントに来て、自分たちはエルサレム教会の推薦状を持っているが、パウロは推薦状がなく、信用できないと批判していたからです。そこで、どんなに忠実にいのちをかけて務めに励んでいるかを語ります。

さて、5節では、「私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝えています」と言います。「キリストを宣べ伝える」は、説明する必要がないでしょうが、それと対照的に言っている「自分自身を宣べ伝える」とは、どういうことでしょうか。自分の考えを講演したり演説したりすることでしょうか。それはあくまで自分の考えを宣べ伝えるのであって、自分自身を宣べ伝えるのではありません。他方、選挙の演説なら、自分はこういう人間で、議員なり市長なりにふさわしいと言うのですから、まさに「自分自身を宣べ伝える」です。それは「自己推薦」と言ってもよいでしょう。そうすると、「キリストを宣べ伝える」ことの本当の意味がわかります。つまり、「自己推薦」と対照的なことですから、自分を推薦するかのように、それとは対照的に、キリストご自身を推薦することです。

ここで、「キリストの教えを宣べ伝えている」と言っていないことを、改めて思いました。キリストご自身を推薦することですから、もちろんその教えを紹介することも必要ですが、あくまで推薦するのはキリストご自身です。私たちの信仰は「キリスト教」と呼ばれますが、この名称は、キリストの教えを信じているかのような印象を与えます。私も最初、求め始めたときには、キリストの教えを学ぼうと思っていました。しかし、教会に行き、人々がキリストの教えではなく、キリストご自身を信じていることを知りました。キリストご自身を信じることは、大昔のキリストが今もおられることを信じることで、難しいことでした。また、教えを学ぶのなら、ほかの勉強と同じようにできますが、キリストご自身を信じることは、キリストに自分をかけることで、大きな決断が要りました。しかし、キリストご自身を信じることの恵みは、言葉にできないほど大きく、信じてほんとうに良かったと思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成