2026年1月7日(水)
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聖書一日一章 コリント人への手紙第二 8章
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満ちあふれる喜びはあふれ出て。(2節)
パウロはここでは、マケドニアの諸教会、ピリピやテサロニケなどの教会がどんなに進んで献金したかを述べます。この献金というのは、パウロがローマ人への手紙15章27節で訴えている、異邦人の諸教会からユダヤ人の貧しいクリスチャンたちへの献金のことでしょう。コリントのクリスチャンたちにもその献金に参加するように勧め、集めた献金を届けるのに、パウロに同行している二人を送ることを伝えています。
さて、2節では、「彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさはあふれ出て、惜しみなく施す富となりました」と言います。マケドニアのクリスチャンたちは、とても貧しい人が多かったようですが、そういう「極度の貧しさ」の中で献金をするのは、難しいことです。献金をしたくても、どこにも余裕がなかったでしょう。それなのに、「満ちあふれる喜び」から献げたいと強く思い、惜しみなく献げたというのです。すばらしいことですが、献げたいと強く思ったらできたということは、最初から余裕があったのではないかとか、無理をして、食べる物も食べず、借金までして献金したのではないかとか、余計なことを考えてしまいます。しかし、キリストの奇跡を思い出しました。5つのパンと2匹の魚で5千人の人を満腹させ、残ったパンが12のかごに一杯になりました。5千人の人が食べたパンや魚や残ったパンは、どこから来たのでしょうか。キリストが奇跡を行われるときには、計算が合わないのです。キリストは天に昇られてからも奇跡を行っておられます。そしてこのマケドニアのクリスチャンたちにも奇跡を行われ、どこからともなく献げるお金が出てきたのでしょう。教会の献金にはこういう不思議さがあります。これだけのお金がどこから来たのだろうと驚くことが少なくありません。
さらに、このキリストの奇跡は、「満ちあふれる喜び」と関係があると思います。彼らの「満ちあふれる喜び」は普通の喜びではありません。キリストと出会ったこと、罪を赦されたこと、神に愛されていること、神の国への望みなどから来る信仰的喜びです。それは聖霊が起こす喜びです。そのような信仰と聖霊による喜びにあふれるとき、きっと奇跡が起こることでしょう。
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