2026年1月10日(土)

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聖書一日一章    コリント人への手紙第二 11章

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私は自分の弱さのことを誇ります。(30節)

パウロは再び、コリント教会に入り込んできた、彼を批判し、エルサレム教会の推薦状がないからだめだという人たちを、取り上げます。彼らは自分たちは正統だと主張していましたが、パウロは、3節で、エバを欺いた蛇にたとえ、4節では、「別のイエス」を宣べ伝えていると言い、13節では、「偽使徒」と言います。彼らの信仰が使徒たちから伝えられたものとは違っていたからです。

16節以下では、「愚か者として」と言って、自分の労苦を自慢します。パウロは、自慢は愚か者のすることだと思っていて、したくないのですが、仕方なしにするというのです。それは、違った教えを広めている人たちが自分たちの労苦を自慢し、コリントのクリスチャンたちが、感心し、パウロより彼らの言うことに耳を傾けようとしていたので、それを防ぐためです。自慢という愚か者のすることをあえてするのは、コリントのクリスチャンたちへの愛のゆえで、愛のゆえに愚か者のようになるのは、すごいことだと思いました。

ところで、30節では、「もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります」と言います。パウロは自分の労苦を自慢するのは嫌でしたが、自分の弱さなら誇ってもよいと言うのです。とはいえ、弱さは誇るべきことではなく、恥かしいことであり、隠したいことです。それなのに、なぜ弱さを誇ってもよいと思っているのでしょうか。それは、キリストの力とみわざが弱さの中によく現れるからでしょう。弱さが多ければ多いほど、乗り越えた場合、あるいは成功した場合、あるいは助かった場合に、キリストの力とみわざによったことがはっきりするのです。ですから、誇りたいのはキリストです。私たちもキリストを愛していて、キリストを誇りたいと思っているのではないでしょうか。そのために、自分の弱さを告白しましょう。そんな自分を用いてすばらしいことをされるキリストを証し、誇りましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成