2026年1月14日(水)

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聖書一日一章    ガラテヤ人への手紙 2章

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割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引いた。(12節)

ここでは、パウロが、回心後、最初にエルサレムに行って使徒たちと交わった後、「14年たって」バルナバとともにエルサレムに行ったのですが、その時のことを話しています。また、11節以下では、その後、アンティオキアにいて、ケファつまりペテロが訪ねて来た時のことを話しています。パウロがこの2つのエピソードを話すのは、キリストを信じる上で割礼は不必要だということを、割礼派の影響を受けていたガラテヤのクリスチャンたちに説得するためです。エルサレムでは、ペテロは、異邦人クリスチャンは割礼を受けなくてよいと言ってくれたのに、アンティオキアでは、割礼派を恐れて、異邦人クリスチャンとの交わりを避けたので、はっきりと注意したと言います。その上で、人はキリストを信じることによって義と認められるのであって、割礼を受け、律法を守ることは必要ではないと強調します。

さて、12節では、ペテロについて、「割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引いた」と言います。ペテロが割礼派の人たちを恐れたというのですが、ペテロは誰もが認める全教会の代表なのに、どうして恐れたのでしょうか。それは、彼らが強い主義主張を持っていて、その主義主張に反対する人に対しては、中傷や暴言などで攻撃するからでしょう。そのような言葉の攻撃は、暴力と同じように人を傷つけます。私たちももしそういう人たちを相手にしなければならない場合、恐れて、身を隠したくなるのではないでしょうか。

この点でクリスチャンは、とくに弱いと思いました。それは気が弱いという意味ではありません。キリストに出会って、争いを捨て、愛に生きるようになっていて、昔なら怒鳴って対抗したかもしれませんが、今ではそんなことはとてもできないからです。もっとも、それは、キリストが「柔和な者は幸いです」と言われた柔和な人になっているということで、むしろ喜ぶべきことでしょう。そうだとしても、言葉で攻撃されたときに、どのように対抗すればよいでしょうか。対抗する必要はないと思います。私たちにはだれよりも強いキリストがついておられます。キリストご自身が人知を超えた方法で弁護してくださることでしょう。

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