2026年1月17日(土)
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聖書一日一章 ガラテヤ人への手紙 5章
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キリストは、自由を得させるために解放してくださいました。(1節)
パウロはここでは、キリストが罪の奴隷であった私たちを解放してくださったのだから、律法の細かい規定に縛られ、その自由を失わないようにと、強く勧めます。同時に、せっかくの自由を肉欲のものにせず、「愛をもって互いに仕え合う」ように、そのために聖霊によって歩むようにと勧めます。
さて、1節では、「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい」と言います。キリストが私たちを救ってくださったのが、自由を与えるためだということは、ほんとうに幸いなことです。しもべとして仕えさせるためでも、修道生活をさせるためでもありません。私たちが自由に、羽根を伸ばし、喜び、神に感謝し、賛美するためです。ですから、私たちはほんとうに良いことなら、何でも自由にしてよいのです。
しかし、せっかくの自由を台無しにするものがあります。たとえば、良心や正義感は、信仰によってますます強くなることがあり、それに従わなければならないと感じるようになり、従わないと良心に責められるようになることがあります。それはキリストに従っているように見えて、良心や正義感に従っているのです。良心や正義感ではなく、み言葉と聖霊に従いましょう。また、たとえば、この世の人々がクリスチャンに期待するイメージがあり、「クリスチャンなのにそんなことをするのか」とか「クリスチャンなんだから、こうしてほしい」と言われて、そのイメージに縛られてしまうことがあります。気にしないようにしましょう。そんなイメージを破っても、み名に傷がつくことはないと思います。また、たとえば、礼拝の出席や奉仕や教会のいろいろな付き合いが、最初は喜んでいたのに、だんだん重荷になり、自分を縛ることがあります。教会のあらゆることは、クリスチャンのためになるように行われているのですから、そんなものに縛られないようにしましょう。また、たとえば、私たちは何かに執着することがありますが、それがあまりに強いと、自分を縛ってしまいます。それがどうしても必要なものなら、主が必ず与えてくださるはずですから、一旦思い切って手放しましょう。
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