2026年1月21日(水)
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聖書一日一章 エペソ人への手紙 3章
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キリストにあって、大胆に神に近づくことができます。(12節)
パウロはここでは、神から啓示された「奥義」について述べます。「奥義」と言っても、道を極めた師匠から直弟子にだけ伝えられる秘伝ではありません。神の永遠のご計画、とくに異邦人の救いのご計画のことです。キリストの時代まで神がみ心に秘めてこられたので、そう呼んでいるのです。これはただ、救いがユダヤ人から異邦人に拡大されたということではありません。10節で、「今、教会を通してきわめて豊かな知恵が知らされるためです」と言うように、救いの内容が桁外れに豊かになったということです。それで、14節以下で、クリスチャンたちがその豊かさを知るようにと祈ります。
さて、12節では、「私たちはこのキリストにあって、確信をもって大胆に神に近づくことができます」と言います。私はこの「神に近づくことができる」という言葉に、これはとんでもないことだと思いました。というのは、神に近づくことは本来不可能なことだからです。神に近づくことが不可能なのは、第一に、無限の距離があるからです。幼い頃、月を見て、あそこに行ってみたいと思った人は多いでしょう。月の方角に思いっきり走っても、高い所に昇っても、少しも近づかず、そのうち、思っていたよりはるかに遠いことを知って、あきらめたのではないでしょうか。その月さえ、宇宙全体から見ると、地球のごくごく近くで、宇宙の大きさはその比ではありません。そんな宇宙も神から見ると米粒ほどもありません。そんな遠大な神に近づくことは不可能です。第二に、神は位が限りなく高く、下々の者が近づけないからです。昔の王や皇帝に面会できるのは、高い位の人か特別な才能を持った人だけでした。人間の王や皇帝でも面会できないのに、限りなく高い神には、遠くから眺めることさえできません。第三に、私たちが罪深く汚れているからです。まったくきよい神に近づくことができるのは、まったくきよい人だけです。アロンの二人の息子が酒に酔って神の契約の箱に近づいたとき、火に焼き尽くされました。神の契約の箱に近づいただけでも焼き尽くされるのに、神ご自身に近づいたら、どうなるでしょうか。このように神に近づくのは二重三重の意味で不可能です。それなのに、その神に、キリストによって大胆に恐れることなく近づくことができるのです。すごいことです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
