2026年2月5日(木)

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聖書一日一章    テサロニケ人への手紙第一 4章

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神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。(3節)

パウロはここでは、きよい生活と兄弟愛と、キリストの再臨において、信じて死んだ人々とその時まで生きている人々がどうなるかを述べています。

さて、3節では、「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです」と言います。聖なる神が聖なる者を望まれるのは当然です。ただ、この言葉を聞いて、励まされる人もいるでしょうが、重苦しく感じる人のほうが多いのではないでしょうか。というのは、私たちには聖なる者と矛盾した求めがあるからです。それにしても、なぜ、聖なる者となることが良いと思いながら、自分の内にはそれとは反対の求めがあるのでしょうか。その反対の求めとは、いつでも好きなことをし、好きな物を食べたいだけ食べ、お金を好きなだけ使い、好きな人にちやほやされ、だれにも頭を下げなくてよいようになりたいという求めです。よく考えると、これは、王様になりたいという求めです。なぜそんな求めがあるのでしょうか。私は悪魔が人間の心に蒔いたのだと思います。悪魔は人間の始祖エバに蛇を使って、「この木の実を食べるそのとき、あなたがたは神のようになる」と誘惑し、神のようにつまり王様のようになることを願わせたのです。ただ、みんなが王様になることを求めたら、瞬く間にぶつかり、争いになるので、人はみな大人の知恵を働かせ、その求めを押さえ込んでいます。キリストを信じ、神のみ心にかないたいと思っても、そんな押さえ込んだ求めがあるので、葛藤するのです。

しかし、神が望まれる聖なる者になることは、そんな求めを強く押さえて、自分を無理やり律することではないと思います。それは苦しいだけでしょう。むしろ、キリストを信じる人は聖霊によって新しく生まれ、新しい心、新しい求めを与えられているので、それを伸ばすことだと思います。新しい心は、神の愛を感受する心と言ってもよいでしょう。神に愛されていることを知り、その快さを経験すれば、王様になりたいとは思わず、むしろ王である方に仕えたいと思うでしょう。また、神に愛される喜びから、人を愛する気持ちも芽生えるでしょう。残念ながら、私たちの新しい心は強くありません。聖霊が私たちの新しい心を強くしてくださるように祈りましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成