2026年2月9日(月)
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聖書一日一章 テサロニケ人への手紙第二 3章
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だれにも負担をかけないように働きました。(8節)
パウロは8節で、「あなたがたのだれにも負担をかけないように、夜昼、労し苦しみながら働きました」と言います。実際、パウロは、使徒の働き18章によると、天幕造りをして生活費を得ながら、伝道していました。そして、次の節では、そのような自分を見習うようにと言います。たしかに、生活費を、自分のためにはもちろん、たとえ伝道のためであっても、人に負担をかけるよりも、病気でもない限り、自分でまかなうに越したことはありません。
とはいえ、キリストはマタイの福音書6章で、何を食べようか、何を着ようかと心配しないように、少しも働かない空の鳥や野の花を神が豊かに養っておられるように、私たちを豊かに養ってくださると言われました。この教えとパウロの言葉との間に齟齬を感じます。しかし、この教えには、大事な原則がついているのです。「神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」という原則です。神が養ってくださるので、生活のことを心配しなくてよいのは、神の国のために一生けん命働いている時だということです。伝道に専念していて余裕がなければ、神が何かの方法で生活を支えてくださるでしょう。パウロも、伝道の活動が多くなると、天幕造りの仕事をやめています。
それでは、使徒の働き2章に、「人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれ必要に応じて、皆に分配していた」とあるのはどうでしょうか。クリスチャンの間で分け合うことは良いことですし、必要なら助けてもらえばよいのではないでしょうか。パウロのように「だれにも負担をかけないように」と気を使わなくてもよいのではないでしょうか。しかし、パウロはエペソ人への手紙4章28節で、「困っている人に分け与えるため、労苦して働きなさい」と言って、分けてもらうことより分け与えることを勧めます。分け合うということでは、伝道に専念しているとか、病気で動けないとかで助けてもらわなければならない場合がありますが、みんなが助けてもらうことを期待すると、おかしくなり、みんなが与えることを目指していると、聖霊が働かれてうまく行くように思います。
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