2026年2月11日(水)
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聖書一日一章 テモテへの手紙第一 2章
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神は、すべての人が救われることを望んでおられます。(4節)
8節では、男性たちに、「怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい」と言いますが、これはすっと受け入れられるでしょう。しかし、女性たちに、「女は、よく従う心をもって静かに学びなさい。私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません」と言うことは、抵抗を感じる人がかなり多いでしょう。現在では、男女平等が世界基準となっていますし、実際、いろいろな分野で女性がトップに就いています。そんな現在にあって、この言葉はどのように受け取ればよいのでしょうか。聖書の言葉の中には、時代や地域を越えてすべての人に教えられていることと、当時のその地域の人々にだけ教えられていることがあることは、確かです。この女性に対する言葉は、パウロの時代の彼が伝道している地域の人々に教えられていると受け取ることができます。
そのように私は受け取ってきたのですが、今回少し違った見方ができると思いました。男性はこうあるべきだ、女性はこうあるべきだと言っているのではなく、人々をキリストの救いに導こうと熱く願うあまり、そのために男性も女性もこういうことに気をつけてほしいと言っているのだと。というのは、そのことを言う直前に、すべての人を救いに導く熱い思いを述べているからです。1節で、「すべての人のために、祈り、とりな」すように言い、4節で、神が「すべての人が救われ」ることを望んでおられると言い、6節で、キリストが「すべての人の贖いの代価としてご自分を与え」られたと言っています。そして、人々を救いに導くことに関して、コリント人への手紙第一9章19節から23節で、そのために自分はすべての人の奴隷になるように努めていると言います。それは、ユダヤ人にはユダヤ人のようになり、異邦人には異邦人のようになり、弱い人には弱い人になって、その人が快く思うようにすることです。だとすると、女が教えたり男を支配したりすることをやめるように言うのも、人々を救いに導くために、人々が不快に思うことを避けるようにということでしょう。人々が不快に思うことは、時代によって変わりますから、気をつけるべきことも変わるでしょう。私たちの時代において、人々を救いに導くために避けるべき、人々が不快に思うことは何でしょうか。
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