2026年2月12日(木)

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聖書一日一章    テモテへの手紙第一 3章

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真理の柱と土台である、生ける神の教会のことです。(15節)

パウロはテモテにここでは、教会の監督や執事になる人に必要な資質を教え、また、当時できていた、信仰の要点をまとめた信条を引用して、信仰の根幹を確認しています。

さて、15節では、「神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のことです」と言います。ここでの「教会」は、礼拝をする場所というイメージではなく、元のギリシャ語「エクレシア」の本来の意味、「召し出された者たち」つまりキリストを信じるように導かれた人々の集団のことです。その「教会」のことを「神の家」と言っています。「神の家」と言っても、建物のことではなく家族のことで、神の家族という意味です。

それでは、教会が「真理の柱と土台である」とはどういうことでしょうか。思い巡らせてみました。まず、「真理の柱と土台」と言えば、何と言ってもキリストでしょう。パウロ自身、コリント人への手紙第一3章11節で、教会について、「その土台とはイエス・キリストです」と言っていますし、エペソ人への手紙2章20節では、「キリスト・イエスご自身がその要の石です」と言っています。何よりもキリストご自身がヨハネの福音書14章6節で、「わたしは真理です」と言っておられます。キリストが真理の土台で、教会がその上に建っていることは間違いありません。

それなら、なぜ教会が「真理の柱と土台」なのでしょうか。それは、この世の人々、キリストを知らず、キリストが見えない人々にとって、キリストを見える形で表しているということではないでしょうか。それは、この世の人々だけでなく、信仰が弱く、キリストがおぼろげにしか見えない多くのクリスチャンにとっても、キリストを見える形で表しているでしょう。それにしても、私たち弱い信仰の集団がキリストを見える形で現すことができるのでしょうか。もちろん一人ではできませんが、集まれば、信仰が強まり、聖霊が働き、キリストを現すことができると思います。一人では消えそうでも、集まれば力強い火になるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成