2026年2月14日(土)

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聖書一日一章    テモテへの手紙第一 5章

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隠れたままでいることはありません。(25節)

パウロはテモテにここでは、年配の人への接し方、教会がやもめの生活を支援する上で、支援すべきかどうかを判断する基準、教会の人々を指導している長老を尊重するようにとの注意を記しています。

さて、24節と25節では次のように言います。「ある人たちの罪は、さばきを受ける前から明らかですが、ほかの人たちの罪は後で明らかになります。同じように、良い行いも明らかですが、そうでない場合でも、隠れたままでいることはありません。」だれの行いも神は見て知っておられ、必ず明るみに出し、さばき、あるいは報いられます。その行いがすぐに人々の目に触れ、責められたりほめられたりすることがありますが、そうでなくても、いつか必ず、人々の目にさらされます。隠れたままでいることはないというのです。

ですから、私たちは、人が見ていようと、見ていまいと、悪いことをすることを恐れます。だれも知らなくても、神は知っておられるからです。キリストによってどんな罪も赦されていますので、たとえ悪いことをしても、さばかれることはありません。しかし、神を悲しませることは確かで、そんなことはしたくありません。逆に、私たちは神に喜んでもらいたいので、人が見ていようと、見ていまいと、良いことはしたいです。

かつて神を知らなかったときには、良いことをするのは、人に見られて評価されるためでした。しかし、キリストに出会って神を知ってからは、神に目を向けるようになりました。それでも、信仰の弱いときには、良いことをしても、だれも評価してくれないと寂しく感じました。信仰の成長とともに、人からの益よりも神からの祝福がはるかに勝っていることがわかり、人から評価されるより、神から評価されたいと思うようになりました。

キリストはマタイの福音書6章2節で言われます。「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。」

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成