2026年2月19日(木)

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聖書一日一章    テモテへの手紙第二 4章

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私が世を去る時が来ました。(6節)

パウロはこのとき、拘留されて裁判を受けていて、死刑になると、それも判決が近いと予想していました。そのため、テモテに、1節と2節で、「神の御前で、またイエスの御前で、私は厳かに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」と、遺言のように言います。

さて、パウロは6節で、「私が世を去る時が来ました」と言います。この言葉から二つのことを思いました。一つは、死ぬことを世を去ると言っていることです。日本でも死ぬことを「死去」とか「逝去」とか、去ると表現しますが、どこに去るのか意識せずに言っています。この世から去るとしても、どこへ去るのかわからないのです。その点、パウロが「世を去る」と言うとき、それは私たちも同じですが、どこへ行くのかがはっきりしていますし、それも、燦然と輝くすばらしい世界に行くことがはっきりしているのです。

一つは、「世を去る時が来ました」という表現の背後に、宿命の時が来たというニュアンスではなく、幸いにも、神が愛と深い思慮をもって決められた時が来たというニュアンスがあることです。パウロは18節で、「主は私を、どんな悪しきわざからも救い出し、無事、天にある御国に入れてくださいます」と言います。キリストはこれまで数々の危機からパウロを救い出してこられました。何度暴行で殺されそうになったかわかりません。キリストはどんな絶体絶命の状況からも助け出されました。しかし、今回死刑になることからは助け出されません。助け出すことがおできになりますが、今回はそうされません。その必要がないし、パウロも求めていないからです。今回はむしろ「天にある御国に入れ」られます。パウロが「戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、」つまり、地上ですべきことをやり終えた、この世を去るのに一番良い時だからです。キリストは、私たち一人一人にとってもこの世を去るのに一番良い時を定めておられます。その時が来ていないと、病気からも事故からも助け出してくださいますが、その時が来れば、助け出すより、天の国に入れてくださいます。

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