2026年2月22日(日)
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聖書一日一章 テトスへの手紙 3章
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実を結ばない者にならないように。(14節)
パウロはテトスにここでは、クリスチャンたちに、人と争わず、支配者たちに服し、無益な論争を避け、良いわざに励むように教えるように言います。
さて、14節では、「実を結ばない者にならないように、良いわざに励むように」と言います。「実を結ばない者にならないように」ということは、実を結ぶようにということです。ここで、「実を結ぶ」とは、どういうことでしょうか。実を結ぶと聞くと、ガラテヤ人への手紙5章22節、「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」が頭に浮かびます。これらは、聖霊が私たちに与えてくださるすばらしい実で、私たちのあこがれですが、心の性質のようなもので、目に見えるものではありません。パウロはここでは、「良いわざに励むように」と言って、善い行いという目に見える実を言っています。善い行いは、しろと言われて、できるものではなく、形だけしても、すぐにボロが出てしまいます。聖霊によって与えられた心の良い性質からおのずと出てくるものです。
それでは、パウロは何のために、クリスチャンたちに善い行いという実を結ぶように言っているのでしょうか。まず、はっきりさせなければならないことは、実を結ぶことによって、神の国にふさわしいと認められるためではありません。マタイの福音書7章19節でキリストが、「良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます」と言われるので、そんなふうに勘違いする人が多いのです。しかし、キリストが言われるのは、「良い実を結ばないなら」ではなく、「良い実を結ばない木は」です。努力しないからではなく、良い実を結ばない木だからです。ですから、同じ箇所で、「良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます」と言われます。実際、実は、実自身が努力してなるものではなく、自然になります。ということは、良い実を結ぶには、良い木に大転換しなければならないのです。それこそ、パウロが今日の章の5節で、「聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました」と言うことです。救われるために良い実を結ぶのではなく、救われたから、良い実を自然に結ぶのです。
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