2026年2月28日(土)

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聖書一日一章    ヘブル人への手紙 5章

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キリストは、肉体をもって生きている間、祈りと願いをささげた。

(7節)

ここでは、旧約時代の大祭司のことを説明します。大祭司のことを説明するのは、すぐ後で、昔からユダヤ人の間でキリストの預言とされてきた詩篇110篇4節を引用しますが、その箇所がキリストを大祭司として預言しているからです。

7節では、「キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました」と言います。キリストは、死から救われるために、これ以上ないような必死の祈りをして神に聞き入れてもらったというのです。肉体を持つ者が死を免れることは不可能なのですが、それを可能とするためには、キリストでもそんな祈りが必要だったのです。

死を免れることが不可能で、それを可能とするためにそんな祈りをしなければならないのは、肉体を持っているからです。その点、キリストはもともと肉体を持っておられなかったのですから、死とは無関係で、そんな祈りをする必要はなかったのです。わざわざ肉体をまとい、わざわざそんな祈りをされたとしたら、それはご自身のためではなく、他者のため、すなわち人間のために違いありません。死ぬべき肉体を持つ人間が死を免れるために、ご自身が死ぬべき肉体をまとい、必死の祈りで、不可能を可能にされたのです。

キリストを信じる者は、キリストのこの祈りによって、死から解放されています。肉体の衰えはほかの人と同じですが、不死の新しいいのちを吹き込まれた内なる人は、どんどん強くなっています。肉体は耐用年数がありますから、遅かれ早かれ死の時が来るでしょう。鼓動がプツッと切れるとき、内なる人は長い眠りに就き、キリストの再臨で目覚めますが、自覚的には一瞬で目覚め、そのときキリストによって備えられた新しいすばらしい肉体を着ていることに気づくでしょう。キリストを信じる者にとって、肉体の死は終わりではありません。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成