2026年3月1日(日)
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聖書一日一章 ヘブル人への手紙 6章
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希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものです。(19節)
著者は、13節以下で、神が昔アブラハムにその子孫を大い増すと約束されたことを話し、神は確かな約束をされ、それは事実、実現した、このことは、同じように神から確かな約束を受け、それを待ち望む自分たちには、大きな励ましだと言います。その約束というのは、これまで述べてきた、キリストを信じ続けるなら、必ず永遠の安息に入らせてもらえるということです。
さて、その、永遠の安息に入らせてもらえると待ち望んでいること、つまり永遠の安息の希望について、19節では、「私たちが持っている希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものです」と言います。希望がたましいの錨だというのです。どんな意味で、希望がたましいの錨なのでしょうか。
船は浮かんでいるだけだと、波に揺り動かされ、流されてしまいますが、錨を投げ込んでおくと、錨が海底に食い込み、船はある程度は揺り動かされても、錨の鎖につなぎ止められて流されません。私たちは波に揺り動かされる船のようなものです。人生には良いことも悪いことも起こりますが、私たちはその度に一喜一憂します。そして、悪いことが少し重なると、落ち込み、自分はだめだと思ったり、今の生活を捨てたくなったりします。何か別の道はないかと探し始め、そんなにうまい道はないので、あれやこれやとさまよい始めます。あるいは、絶望し、生きるのがいやになるかもしれませんし、自暴自棄になるかもしれません。しかし、将来に楽しみにしている何かがあると、たとえば、憧れの地に行くとか、大好きな人に会えるとかがあると、全然違います。悪いことがあって悲しくても、悪いことが重なって落ち込んでも、その楽しみにしていることを思い出し、心がそこに引かれるので、乗り越えることができるのです。希望は、私たちが揺り動かされるときに、私たちの心を引っ張りつなぎ止める錨のようなものです。
ただ、確かなずっと続く希望はなかなか見つかりません。その点、永遠の安息の希望、やがて新しいすばらしい世界が始まり、悪いことや悲しいことが一つもなく、喜びと平安に包まれるという希望は、確かなたましいの錨です。
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