2026年3月2日(月)

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聖書一日一章    ヘブル人への手紙 7章

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レビはまだ父の腰の中にいたからです。(10節)

著者は、ここでは、5章で引用した詩篇110篇4節に名が出てくる人物メルキゼデクについて詳しく述べます。メルキゼデクはもともと創世記14章に登場するのですが、ある町の王で、アブラハムと同じ神を崇めていた人物で、祭司だと紹介されています。

さて、著者は、キリストがイスラエルの祭司たちよりもはるかに上の祭司であることを論証するのに、詩篇110篇で、キリストが「メルキゼデク」のような祭司として預言されていることを根拠にします。つまり、メルキゼデクはアブラハムには祭司の立場だったので、アブラハムより上、アブラハムはイスラエルの祭司たちの先祖なので彼らよりも上、それゆえ、メルキゼデクのような祭司キリストはイスラエルの祭司たちより上というわけです。

その論証の中で、10節で「メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだ父の腰の中にいたからです」と言います。当時は、人は生まれる前には父の腰の中にいて、その父も生まれる前には祖父の腰の中にいて、そのとき祖父の腰の中にいた父のまたその腰の中にその人がいたというふうに考えていました。その考えに沿うと、イスラエルの祭司たちは生まれる前にその先祖アロンの腰の中に、順に、その先祖レビ、その父ヤコブ、その父イサク、その父アブラハムの腰の中にいたということになります。

こういう考え方は、あくまで当時のもので、キリストを信じる人はみなこう考えなければならないということはありません。ただ、アダムが罪を犯したことによって、全人類が罪深い者になったこと、また、キリストが十字架で死なれたことで、全時代のすべてのキリストを信じる人が罪を赦されることを理解する助けになります。つまり、アダムが罪を犯したとき、全人類は霊的にアダムの腰の中にいたのです。また、キリストが十字架で死なれたとき、キリストを信じるすべての人は霊的にそのキリストの中にいたのです。パウロはガラテヤ人への手紙2章19節で言います。「私はキリストとともに十字架につけられました。」

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