2026年3月4日(水)

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聖書一日一章    ヘブル人への手紙 9章

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その血はどれだけ私たちの良心をきよめることでしょうか。(14節)

ここでは、モーセの時代の幕屋を取り上げます。幕屋の内部は垂れ幕で2つに仕切られていて、奥の、至聖所と呼ばれるスペースは、最も聖なる場所で、だれも入ることが許されず、祭司さえも入ることが許されませんでした。ただ、大祭司が年に一度だけ、いけにえの血をささげるために入ることが許されましたが、著者はこのことをキリストのされたことのモデルと考えます。つまり、キリストは永遠の大祭司として、十字架でご自身をささげ、そこで流したご自身の血を持って天の至聖所に入られたと。

さて、14節では、「キリストが傷のないご自分を、神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか」と言います。一般に、人が何か尊いことのためにいのちをささげるということは、人々に大きな感化を与えます。とくに、血を流していのちをささげるというのは衝撃的で、人々の心にささり、反省や変革を起こさずには行きません。とくに、とくに、罪も汚れもないキリストが十字架で、血を流していのちをささげられたことは、何よりも衝撃的で、人々の心を動かし、変革しないわけには行きません。

しかし、キリストが血を流しいのちをささげられたことが、どれだけ人々の心を動かしても、人々は自分の罪を除き去ることはできないでしょう。私はキリストがその血を神にささげられたということが、鍵だと思いました。神にささげられたので、神が心を動かし、人々の罪を完全に除き去るために、聖霊を注ぐ決心をされたのだと思います。神はキリストを信じる人に聖霊を注がれますが、聖霊は14節にあるように、「私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にする」のです。私たちの汚れた心をきよめていただくために、聖霊のお取扱いにゆだねましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成