2026年3月5日(木)

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聖書一日一章    ヘブル人への手紙 10章

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影はあっても、その実物はありません。(1節)

ここでは律法を取り上げます。律法とは、旧約聖書で神が人々に命じておられることをまとめたものです。その律法の中で、罪のささげ物というのがありますが、罪をきよめるためにささげるものです。ただ、残念ながら、人を罪からきよめることができず、後にキリストが十字架でご自身をささげられることを預言するもので、キリストこそが人をきよめることができると言います。それゆえ、キリストによってきよめられ、大胆に神に近づこうと呼びかけます。

さて、1節では、「律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません」と言います。この「来たるべき良きもの」とは、5節を見ると、この世界に来られる前の天におられたキリストのことだとわかります。つまり、天におられたキリストが実物で、罪のささげ物はその影にすぎないと言うのです。これは、私たちが持っているイメージと違います。私たちが持っているイメージは、実物が形も重さもあり、存在感があるのに対し、影は形も重さも存在感もありません。しかし、ここでの実物と影は反対です。影である、罪のささげ物は、牛や羊の肉で、それをささげる儀式も大掛かりで、存在感があるのに対し、実物である、天におられるキリストは霊で、見えません。私たちは、霊で、目に見えず、触れることもできないものを、なかなか実物と思えないところがあります。しかし、地上の目に見える物は、岩のようにしっかりしたものであっても、年月とともに変化し、朽ちていき、なくなりますが、霊である神やキリストはもちろん、天にあるもろもろの霊はいつまでも存在し、変わらないのです。

次の章の3節は言います。「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」多くの人はこの世界の大地や自然や国や都市や家や持ち物やお金や生活を実物だと思っています。しかし、ほんとうはそれらは影で、いずれ消え去るものです。天にあるものこそ変わらない実物です。

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