2026年3月8日(日)

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聖書一日一章    ヘブル人への手紙 13章

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賛美のいけにえを絶えず神にささげようではありませんか。(15節)

ここでは、手紙を締めくくる上で、クリスチャンが行うべき善い行いと気をつけるべきことを挙げ、指導者たちの信仰に倣い、十字架につけられたキリストに倣っていこうと励まします。

さて、13節と14節で言います。「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。」いけにえは、もともと、罪を犯し、神の怒りを感じるときに、罪を赦してもらうためにささげるものでした。赦してもらうためには、血を流す必要があるので、旧約時代には、人が血を流す代わりに、動物をほふって血を流していましたが、ほんとうはそれでは足りなかったのです。やがて、12節に、「イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました」とあるように、キリストがエルサレムの門の外で十字架につけられ、血を流されました。その血はすべての人のために代わりに流されたもので、神のみ子の無限に尊い血はすべての人の血にまさり、すべての人の罪が赦されるようにするものでした。ですから、私たちはキリストを信じることによって、キリストが流された血が私が流した血とみなされ、私の罪が赦されると信じているのです。

だとすると、私たちはもはや動物のいけにえをささげる必要がありません。しかし、いけにえにはもう一つの意味があります。それは、感謝のしるしという意味です。旧約時代には、人々は収穫したときに、神が与えてくださったことに感謝して、その一部を神にささげていました。それが「感謝のいけにえ」と呼ばれています。その意味では、私たちもいけにえをささげることが大事です。そこで、著者は、神に、賛美、それは「唇の果実」、唇が実らせた果実ですが、それを神にささげるように勧めます。同時に、神は何も必要とされないので、ご自身への感謝のしるしをほかの人にするように望まれます。そこで、善を行うように、また食べ物や着る物を分かち合うように勧めます。自分のできることで、賛美のいけにえをささげましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成