2026年3月11日(水)

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聖書一日一章    ヤコブの手紙 3章

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泉が、甘い水と苦い水を同じ穴から湧き出させるでしょうか。

(11節)

ヤコブはここでは、教会の教師たちに、過ちを犯さないように、とくに言葉で過ちを犯さないように戒めます。そして、舌は制御しにくく、しばしばののしり、神のみ名を汚し、自分の品位を落とすと言います。過ちを犯さないために、世的な知恵を捨て、上よりの知恵を求めるようにと勧めます。

さて、11節では、「泉が、甘い水と苦い水を同じ穴から湧き出させるでしょうか」と言います。これは、普段神を賛美しているクリスチャンが同じ口で汚くののしることを、賛美を甘い水に、汚いののしりを苦い水にたとえ、同じ泉から甘い水と苦い水が出るでしょうかと言ったものです。

泉や井戸など、地下水の利用において、「苦い水」とは、カルシウムやマグネシウムや鉄を大量に含んだ水のことで、健康に悪影響を与えますし、中には、鉛やヒ素のような毒を含んだものもあります。それに対し、「甘い水」とは、飲料に適した水のことで、「苦い水」と比べ、甘く感じられるので、そう呼ばれます。当時は泉や井戸が生活用水を得る唯一の手段でしたから、「甘い水」が出れば、生活できますが、「苦い水」が出れば、生存の危機で、「甘い水」が出るまで掘り続けなければなりません。当時の人々がどれほど「甘い水」を願い、「苦い水」を嫌ったことでしょうか。

そのことを考えると、私たちの口から「苦い水」のような言葉が出てくることは、大きな問題です。神もキリストも知らず、新しく生まれていない時ならば、たましいに苦い毒があったのですから、仕方がありません。しかし、キリストによって新しく生まれているのに、なぜそんな言葉が出てくるのでしょうか。これは、ヤコブが8節で「舌を制御できる人はだれもいません」と言っているように、舌の魔力によることです。自分ではいつも神を賛美していたいと願っているのに、舌の魔力によって、自分の中に残っている苦いものが集められ、引き出されるのです。聖霊によって苦いものを取り除いていただくしかありません。日々聖霊に毒素除去をしていただきましょう。

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