2026年3月16日(月)

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聖書一日一章    ペテロの手紙第一 3章

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あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。(9節)

ここでは、キリストを信じる妻たちには、傲慢な夫にも従うように、キリストを信じる夫たちには、妻を思いやり尊敬するように勧めます。すべてのクリスチャンに、柔和であるように、正しいことのために苦しめられることがあっても、平静であり、機会があれば信じていることを話すように勧めます。

さて、9節では、「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい」と言います。これはキリストが教えられたことです。マタイの福音書5章で、「悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われます。これは文句なしに良いことなのですが、本人にとっては損ばかりで、クリスチャンはそこまで犠牲を払わなければならないのかと思います。それはあくまで理想であって、現実には、自分を守るためにある程度妥協すべきだということでしょうか。

しかし、9節には、「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです」とあります。この「受け継ぐ」の意味は、アブラハムが神から約束された祝福をイサクやヤコブが受け継ぎ、その祝福をイスラエルの民が受け継いだことを指しています。そして、キリストを信じる人々が「召された」、つまりキリストを信じるように神に導かれたのは、イスラエルの民のその祝福を新しい神の民として受け継ぐためだというのです。これはつまり、キリストを信じる人は、祝福されるように定められているということです。悪いことがあっても、人生全体としては、神からの祝福にあふれるということです。

一見、クリスチャンは損ばかりするようですが、それでもなお、人生全体としては、神からの祝福にあふれるということは、悪いことをされた場合でも、神がそれを埋め合わせてあまりあるように、二倍も三倍も祝福されるということでしょう。いやむしろ、二倍も三倍も祝福するために、悪いことをされるようなことを起こし、それでもその人に相手のために祈らせるということでしょう。悪に悪を返すと、神の祝福をふいにすることになるのではないでしょうか。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成