2026年3月19日(木)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 ペテロの手紙第二 1章
_____________________________________________________________________________
私はこの幕屋を間もなく脱ぎ捨てることを知っています。(14節)
ペテロはこの手紙をすべてのクリスチャンに宛てて書いています。クリスチャンたちの中に、キリストの再臨を否定する異端的な人たちが出て来たので、その考えが広まるのを危惧し、また、その人たちはふしだらな生活をしていたので、その生活習慣が広まるのを防ごうとして書いたようです。
さて、ペテロは14節で、「主イエス・キリストが示してくださったように、私はこの幕屋を間もなく脱ぎ捨てることを知っています」と言います。「この幕屋」とはパウロもコリント人への手紙第二5章で同じ表現を使っていますが、肉体のことです。肉体をその人の霊が住む幕屋とみなしています。その幕屋を脱ぎ捨てるとは、死ぬことです。霊が肉体を脱ぎ捨て、キリストのもとへ行くのです。ペテロにとって、そしてクリスチャンにとって、死ぬことは終わりではなく、霊が、肉体を脱ぎ捨て、キリストの懐へ引き上げられて休むことですし、肉体の制限、いつも水や食糧が要り、疲れやすく病気になりやすく、年とともに衰えていくことから解放されることです。
ペテロは自分が間もなく幕屋を脱ぎ捨てること、つまり死ぬことを、キリストから示されていたようです。ペテロは、おそらくそれが自分にとっては幸いだったでしょうが、全教会の長老としては、残していく人々が気がかりで、その人々のために遺言としてこの手紙を書いているのでしょう。
私たちもいつか肉体という幕屋を脱ぎ捨てる時が来ます。そのときに、家族や家やお金や仕事や交流関係すべてを置いていかなければなりません。それらすべてがなくなったとき、いったい何が残るでしょうか。それを考えると、神とのきづながなんと大事なことでしょうか。神とのきづなさえあれば、他に何もなくても、神の満ち満ちた豊かさからいくらでも受けることができ、乏しさは感じないでしょう。それでも、そのとき多くのものを携えて神のもとに行くことができれば幸いです。「自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです」と言われないようにしましょう。「よくやった。良い忠実なしもべだ。主人の喜びをともに喜んでくれ」と言われたいですね。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
