2026年3月21日(土)

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聖書一日一章    ペテロの手紙第二 3章

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神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。

(12節)

ペテロはここでは、キリストの再臨を否定する人々に答えています。そういう人々は、当時のクリスチャンたちが世の終わりがすぐに来るように言っていたことを根拠に、いまだに来ていないと批判していたようです。ペテロは、地は神によって一瞬で創造されたのだから、神によって一瞬で滅びること、神にとって千年は一日のようで、けっして遅くないこと、神はすべての人が悔い改めるのを忍耐強く待っておられることを述べます。そして、再臨と新天新地を待ち望み、敬虔な生き方をしてその日に備えるように勧めます。

さて、12節では、敬虔な生き方をすることによって、「神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません」と言います。人はキリストを信じても、信仰的にまっすぐに成長し、従順なしもべになるわけではありません。迷える子羊のように信仰から迷い出し、長い年月の後にキリストに立ち返ることも少なくないでしょう。信仰から迷い出すまで行かなくても、なかなか信じきることができず、疑いと迷いの中にいて、信仰の火が消えそうな人も多いでしょう。キリストにとっては、そういう人々も愛する子羊なので、一人でも失うことは耐えられないでしょう。ですから、再臨の日を予定しておられても、その人々が立ち返るまで、あるいは確信を持つまで、その日を延ばされるのではないでしょうか。ということは、そういう人々が早く立ち返るほどあるいは確信を持つほど、キリストが早く再臨できるということになります。再臨の日の「到来を早める」とは、そういうことでしょうか。

しかし、考えてみれば、迷い出ていた人が立ち返っても、ほかのだれかが迷い出るかもしれません。たとえその人が立ち返っても、またほかのだれかが迷い出るかもしれません。あるいは、次から次へと新しい人が信じるので、未熟で確信の持てない人はいくらでもいるでしょう。そうすると、再臨を延々と延ばさなければならず、いつまでも無理ということになります。たしかに人間の考えではそうです。しかし、神のお考えでは、立ち返るのが遅れる人が一人もなく、すべての人がそろう時というのがあるのだと思います。

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