2025年5月19日(月)

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聖書一日一章    ダニエル書 3章

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このことについて、私たちはお答えする必要はありません。(16節)

バビロンのネブカドネツァル王が夢を見て心騒いだとき、ダニエルが神の啓示によって説き明かし、そのため、4人の少年は高い地位に就けられました。しばらくして、王は、巨大な像を建て、奉献式に列席した高官たちに、ひれ伏して拝むように命じました。そこにいたダニエル以外の3人の少年は、唯一の神以外のいかなるものもけっして拝むまいとして拒否したため、王の怒りで火の炉に投げ込まれました。しかし、王は火の中を歩いている3人を見て驚き、すぐに出るように命じ、出て来た3人は髪の毛さえ焦げていませんでした。王は彼らの神をたたえ、彼らの忠誠をほめました。

さて、王から、「ひれ伏して拝むなら、それでよい。しかし、もし拝まないなら、火の炉の中に投げ込むぞ」と脅されたとき、3人は堂々と答えました。「王よ。このことについて、私たちはお答えする必要はありません。」この言葉には、自分たちは尊厳ある人間であって、相手が王であれ、間違った命令に従う必要はないし、決してそんなことはしないという確信が現れています。彼らは1章と2章で王の位を尊重していますし、無茶な命令にも何とか応じようとしています。しかし、像を拝めという命令は、自分たちが一番大事にしている信仰に反することなので、従うことができなかったのです。

しかし、3人の立場はとても弱いものでした。彼らは人質であり、外国人であり、味方がいませんでした。しかも、ネブカドネツァル王は、戦争に勝ちまくり、諸国を征服し、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで、だれも逆らえず、人を生かすも殺すも意のままにできる王でした。そんな王の前では、だれでも自分を小さなものと見て卑下するところですが、彼らはあっぱれでした。

彼らが自分の尊厳を維持することができたのは、彼らが勇気があったとか、意志が強かったとかではありません。17節で、「私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます」と言うように、神の力と守りに絶対的な確信を持っていたからでしょう。私たちもそのような強い信仰を持ちたいと思います。主よどうか信仰を強めてくださいと祈りました。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成
神の恵みが豊かにありますように