2020年6月7日(日)

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聖書一日一章     サムエル記第一 19章

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ヨナタンはダビデを弁護した。(4節)

ダビデはサウル王に仕えていましたが、大男の戦士ゴリアテを倒したのをはじめとして、戦うごとに華々しい戦果を挙げたので、サウルは、自分の王位を脅かす存在と見、殺そうとしました。一方、サウルの長男ヨナタンはダビデと親友となり、娘のミカルは彼の妻となっていました。あるときサウルはダビデを殺すことをヨナタンと家来の前で公言しました。そのときは、ヨナタンが必死で説得し、思い直させました。しかし、ダビデが再び戦果を挙げると、サウルは家来たちをダビデの家に遣わし、殺そうとしたところ、今度は、ミカルが機転をきかせ、病気で寝ているように偽装し、隙を見て窓から降ろし、逃がしました。ダビデはこれ以後、各地を転々として逃げ回ります。

さて、ミカルはダビデを逃した後、父サウルから、「なぜ私をだましたのか」と問い詰められ、「あの人が、『逃がしてくれ。私がどうしておまえを殺せるだろうか』と言ったのです」と答えました。脅迫されたので、仕方がなかったというわけです。怒りをかわすうまいやり方です。いじめられている人を助けたいけれど、助けると、自分が目のかたきにされるような場合、私たちもこういうやり方をします。そんな深刻なことでなくても、協力してあげたいが、仲間だと思われるとまずい場合、仕方がなかったと言い訳をします。真実なやり方ではありませんが、決して責めることはできません。人はみな弱虫なので、それで精一杯なのです。それに比べ、ヨナタンは、「王よ、しもべダビデのことで罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません。むしろ、彼のしたことは、あなたにとって益となっています」と、こわい父に対してはっきりと真実を言いました。ダビデを擁護すれば、彼を憎んでいる父が怒るのを承知の上で、また、怒れば何をするかわからないのを承知の上で、ダビデの誠実と潔白を主張したのです。これは、ダビデのためでありましたが、同時に父のためでもありました。それはほんとうに愛の行為であり、真実な行為です。私はそこにキリストの姿を見ます。キリストは、愛によって、憎まれ、迫害されることを覚悟の上で、真実を語られました。私たちは弱虫でとてもそんなことはできませんが、内なるキリストの霊によって、少しでも強くならせていただきましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成
神の恵みが豊かにありますように