2024年3月28日(木)

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聖書一日一章    ヨブ記 10章

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あなたの手が私をかたどり、私を造られました。(8節)

ヨブは神に忠実なのにひどい不幸にあいましたが、親友のエリファズやビルダデは、悪いことをしたから不幸にあったのだから、悔い改めれば幸せが戻ってくると勧めました。そんな悪に心当たりのないヨブは、無実の罪を責められたように感じて反発しました。同時に、神も自分の悪を責めておられるように思い、反論したいが、あまりの力の差にとてもできないと嘆くのでした。ここでも、神に、なぜ悪を探し出して責められるのか、自分を造られた方なのに、なぜ滅ぼそうとされるのかと訴えます。それはヨブの誤解で、実は、神は彼を愛し信頼しておられるゆえに悪魔の試みを許されたのでした。

さて、3節では、人間のことを「御手の労苦の実」と言います。私たちは神が自分を造られたと信じていますが、全能の神がいとも簡単に造られたという印象があるのではないでしょうか。しかし、神でも私たちを造られたときには労苦をされたということです。創世記1章の記述でも、人間はほかの動物とは違ってご自身に似せて造られたとありますが、神であるすごいご自身に似せて造るというのは大変なことなのでしょう。8節では、「あなたの手が私をかたどり、私を造られました。あなたは私を粘土のようにして造られました」と言います。粘土のように造られたと聞くと、子どものころの粘土細工を思い出しますが、陶芸家が陶器を造る作業は、それとは全然違い、固い粘土をこねることから始まって、かまを作り、山ほど薪を割り、何日も、火の番をし、汗びっしょりになる重労働だそうです。また、10節では、「あなたは私を乳のように注ぎ出して、チーズのように固め」と言います。私たちはチーズを買って食べますが、自分でチーズを作るとなると、手間がかかりますし、熟成に1ヶ月ほどかかるそうです。また、11節では、「皮と肉を私に着せて、骨と筋で編まれた」と言います。私たちの体は、骨と筋、肉と皮が複雑に統合されていますが、神はちょうど毛糸を編むように、それらを結びつけられたのでしょう。私たちは、大量生産された中の一つではありません。御手によって労苦して造られた尊い作品です。だから、愛して、最愛の御子の血をもって救われたのです。自分を卑下してはいけないと思います。造られた目的、救われた目的に向かって生きましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成
神の恵みが豊かにありますように