2018年5月21日(月)

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聖書一日一章     イザヤ書 17章

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国民は、大水が騒ぐように、騒いでいる。(12節)

イスラエルの北の国アラムの首都ダマスコについての預言です。アラムは現在ではシリヤと呼ばれ、ダマスコは現在に至るまで首都であり続けています。ここでは、ダマスコがアッシリヤの侵略によって廃墟になることが預言されています。ところが、4節から11節だけは、イスラエル北王国についての預言です。ダマスコについての預言の中に、どうして北王国についての預言があるのかと言うと、北王国がアラムと同盟を結んでいたからです。同盟を結んでいたので、滅ぼされるときには、いっしょに滅ぼされるのです。しかし、7節には、「その日、人は自分を造られた方に目を向ける」とあります。イスラエル人は、さすが、もともと神を信じる民ですので、不信仰な歩みをしていても、苦難に会うと、神に立ち返るのです。クリスチャンホームに育った人、あるいは、子どもの頃に福音に触れた人は、神から離れていても、苦難に会うと、神に立ち返る可能性が大きいです。

ところで、12節以下は、ダマスコを侵略する大軍、つまりアッシリヤの大軍に属する「国々の民」のことです。アッシリヤは多くの小さな国々を征服していたので、その民を自分の軍に配属していたのでしょう。「ああ、多くの国々の民がざわめき、大水の騒ぎのように、騒いでいる。しかし、それをしかると、遠くへ逃げる」と言います。アッシリヤの大軍は列王記によると、20万人以上いましたが、20万人と言えば、見渡す限り人、人、人という状態です。その大軍の兵たちがざわめいていると言うのです。ざわめいているというのは、おびえて逃げようとしていたり、根も葉もないうわさが飛びかっていたり、不満がうず巻いている状況でしょう。人数は多くても、個々の兵は、自分のことしか考えていないので、いわば、烏合の衆です。ですから、「それをしかると」つまり、神が何か打撃を与えられると、クモの子を散らすように逃げてしまうのです。どんな集団も人数が多いと力があるように見えますが、案外、ひとりひとりは自分のことしか考えていず、烏合の衆であることが多いように思います。しかし、キリストはルカの福音書12章32節で言われました。「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」

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神の恵みが豊かにありますように