2019年3月25日(月)

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聖書一日一章     ヨハネの福音書 7章

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わたしの時はまだ来ていません。(6節)

イエス・キリストが仮庵の祭でエルサレムに上られた時のことを記しています。

イエスがエルサレムに上られる前のことですが、イエスの兄弟たちは、教えを広めたいなら、エルサレムに上り、公けの場に出、自分を世に売り出すように勧めました。しかし、イエスは6節のように、「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつでも用意ができています」と答えられました。「あなたがたの時」、つまり、エルサレムに上って自分を売り出すのに、兄弟たちがちょうど良いと考える時は、今だが、「わたしの時」、つまり、イエスが良いと考える時、それは、父なる神がそう考えられる時ですが、まだ来ていないということです。5節で、「兄弟たちもイエスを信じていなかった」と言うように、兄弟たちは、イエスが神が遣わされた人であることを信じていませんでしたし、それ以前に、神も神のご計画も、ほんとうには信じていなかったので、そんなことを言ったのです。

神を知らない人の「時」というのは、自分が望む時、したい時、心の赴く時です。知識のある計画的な人であれば、もっとよく考えて、計算し、最大の効果が得られる時を考えるでしょう。経験を積んで、世間を知っている人であれば、あの人はどう思うか、だれそれはだれだれに通じているかなどを考えて、判断するでしょう。中には、わからないので、くじや占いに頼る人もあるでしょう。しかし、神を信じる人の「時」は、神が良いと考えられる時です。それは、必ずしも自分にとって、都合の良い時ではありません。神の永遠のご計画にとって、最善の時なのです。

その「時」を知るためには、何よりも聖霊の導きにゆだねることです。聖霊の導きを信じて祈ることです。聖霊がしるしを見せてくださることもありますが、そうでない場合が多いと思います。祈りながら、何が神にとって良いことかを考えることです。確信できれば進みますし、わからなければ留まります。いずれにせよ、神の「時」を伺うのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成
神の恵みが豊かにありますように