2019年6月24日(月)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章     ガラテヤ人への手紙 4章

_____________________________________________________________________________

神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に

遣わされました。(6節)

パウロは、ガラテヤのクリスチャンたちが、律法を守らなければ救われないと主張する人たちに惑わされないように、語ってきましたが、その続きで、律法が人を奴隷にするものであることを強調しています。反対に、イエス・キリストの救いは、自由な子どもの身分を与えるものであることを教えます。4節と5節では、神がキリストをこの世に遣わされたのは、「私たちが子としての身分を受けるためでした」と言います。また、6節では、「あなたがたが子であるので、神は『アバ、父よ』と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました」と言います。神は、キリストを信じる者に、ご自身の子の身分を与えられるのですが、同時に、聖霊を与えられます。聖霊は、キリストの霊であり、神の御子の霊ですので、キリストが持っておられる、神に対して、幼子が「アバ、父よ」と呼ぶような親密な気持ちを持たせるというのです。子どもを愛している親なら、子どもが良い子である限り、できるだけ好きなようにさせたいと思うでしょう。まして、神は、愛に満ちた方ですから、子どもを楽しませ、喜ばせたいと思っておられます。神の子どもになった者は、どれほど自由を満喫することができることでしょうか。

8節では、「あなたがたは、かつて神を知らなかったとき、本来、神ではない神々の奴隷でした」と言います。神を知らないときには、自由にふるまっているように思っていても、偶像の神々の宗教にはいっていた人は、様々な戒めがあって、破るとばちが当たると言われ、恐れで従っていたことでしょう。無宗教の人も、様々な恐れに包まれていて、恐れによって行動していたのではないでしょうか。パウロは、キリストに出会う前も、神を知ってはいましたが、ほんとうには知らず、さばかれることを恐れ、律法を几帳面に守っていました。クリスチャンホームに生まれ育っても、キリストに出会っていない人は、聖書を、自分を束縛し、責めるものとしか思えないのではないでしょうか。キリストは私たちをそんな奴隷状態から解放し、神の子どもの自由に導いてくださったのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成
神の恵みが豊かにありますように